about 六波羅真建築研究室とは

EVOLUTION進化

進化

近年、どこの商店街もそうであるように来街者人口の減少、経営者の高齢化、そしてその経営者自身の商店街活動における参加意識の薄さ等商店街には深刻な問題が多い。
「からほり商店街」も例外ではない。そんな「からほり商店街」の中程から枝葉に分れた道に2軒続きの空き長屋があった。
商店街からは、約30メートル程度に位地する。この長屋は、屋根に穴まで開き、雨はおろか草が生え、土壁がボロボロ落ちるのを合板でふさいでいる状態であった。
(後に明らかになるが明治時代の建築らしい)地主は、建物の役目を終えたと判断し、とりあえず青空駐車場にする予定であった。まさに今、解体されようとしていた長屋は偶然私達が遭遇し地主に対し、空堀の街に残る誇るべき長屋の美しさとその環境、そして私達の想いを伝える事になる。地主の理解を得、解体は一旦中止となった。
ただただ建物を残せという保存運動は多数報道されているが、それには地主の負担があまりにも重い。古い建物に新たに役目を与えることにより建物は再生され、人と共に進化していくのではないだろうか。

TOGETHER集う

集う

行き場を失い役目を終えた建物たちは
埃を被りそこに立ち止まっている
又、社会の圧力にも耐えきれない建物たちは建て替わり街の風景も変わり、空が狭くなってくる
新しい建築はそれぞれの人たちにとって必要である
しかし、役目を終えたと思われる建物たちは地域のコミュニティを育て続け、まさに地域の歴史をつたえ続けているのである

STYLE個性

個性

古代からの日本人は山や木そして石や水に宿る神、つまり、自然に対して恐れがあり守ってきた。
そしてそれを、体験を通じて学習していたのかも知れない。自然という一面から昔の建築はその学習を成果としてきたのだろう。
昔の建築は、樹齢100年の木材を使用すれば100年間耐えうる建築を造るのが当然であった。100年耐えなければそこに100年の樹木は成長しないのである。つまり地球の生命体としての輪廻なのである。精神的に体にしみついたものとしての日本文化が育ち、忘れかけていたものを未来に向けて残して行く事が、大切なのではないだろうか。
日本建築の素材は、柱や梁などの”木”、基礎等に使用されている”石”壁の”土”という様に自然素材であり、昔の大工さんの”手”による建築技術と合わせ、まさに生の文化があった。
既製品が氾濫する中、自然素材のデザインはもはや個性なのかも知れない。

DEVICE仕掛

仕掛

日本建築の大成、城建築は無論機能に満ち溢れた建築である。
防御、攻撃、住まい、権威、耐久など、時に権力者が智謀と財力をつぎ込んだ土木技術が兼ね備わった建築である。
機能をとことんまで追及しつくした建築には、楽しさや美も兼ね備わっているのではないか等とも思う。

MOVEMENT活動

活動

様々な手法で再生された建築や環境から日本文化や歴史を再意識する、そして、そこに人がいる
文化とは人にとって無くとも存在できるはずであるが人にとってこころの拠り所となるものであり愛の様に生きるために必要なのかもしれない
環境とともに長屋などの独特の近隣との交流文化があった様に日本文化を意識し建築されたこの場所で人による新たな文化が成長してほしい

CULTURE文化

文化

安易にそして大量に発信される過多な情報社会のなか、手の届き地域の中で見て語り合う情報交換がなされなくなってきた。長屋の路地では昔から必要性の元、井戸端会議というコミュニティ文化が育ってきた。
現在の日本人は阪神、東北の震災で証明されたとおり、協力することに長けた能力を持っている。
一方、過去に必要性の元育っていたコミュニケーションは、豊かな時代と共にその必要が無くなってきたが、なくして気付いたコミュニケーションの場を改めて求めている。SNSの世界は情報に満ち溢れている。
しかし、そこには信用や暖かさは求められていない。日常の一部として、そして人から人への生の情報「アナログ」は記憶とともにコミュニティを育て協力社会を築いて行くのではないだろうか。